Chateau Petrus 1989 - ワインに関する自己紹介

WINE

ワインに関する自己紹介


ブログをずっとさぼっていたが、ワイン関連について説明する機会があり、その内容をTweetして複数の相手に毎回伝えるのも大変なので、せっかくなので、ブログにすることとした。初心者向けに記述したり、美味しくなる目線で、デカンタ-ジュは特定のビンテージのワインに有効か、など記述していきたい。

教えるプロではないので、あくまで個人の経験による主観的なものである。

それ以外に、実は今年20歳になる息子もワインに興味があるとのことで、ここに記事をまとめておくと、彼の参考にもなると思ったので、書き留めることにした。(自宅にワインセラー二つがあり、一つは160本位入る大型。ここにストックしているワインを息子は興味があり引き継ぎたいとのことなので)

背景として、日記風にざっとワインに関する自己紹介をしておきたい。

興味を持ったのは大学生の頃、1985年頃だったろうか。年がなんとなくバレてしまうが、当時、渋谷のカフェバーに行って、カクテルを注文したいが良く知らない。当時はネットもないので本屋でいろいろ立ち読みしたら、「ワインとカクテル」という本があった。

そこで渋谷で何のカクテルを頼んだかはもう覚えてないが、店は確かプラステンCだったと思う。今はもうない。

その本に書いてある、ワインの説明が興味深く、少しずつ飲みやすい、甘口のドイツワインから買って、飲むようになった。特に卒業旅行でヨーロッパに行って、イタリアで学生の頃の堀賢一さん(当時世界最年少のソムリエ)にたまたま出会って、一緒に他の知り合った原子力専攻の人と3人で一緒にしばらく旅行してワインの話などを聞いてさらにワインのとりこになってしまった。いったシャトーはイタリアイワン最高峰で王室の晩餐にも使われ、100年は熟成できるとされたBrunello di MontalcinoのBiondi Santiであり、Biondi Santi氏にも合って、ワインをお土産に一本頂いて我が家の家宝としてワインセラーに入れている。

(不思議なご縁で、コロナの頃、レストランお休み中のイタリアのソムリエと知り合って、個人輸入していたが、彼はBionti Santiと長年の付き合いがあり、Biondi SantiやRiservaを購入させて頂いた)

卒業後、メーカに勤めたのだが、寮でワイン会を開き、色んなワインを試飲するようになった。メーカ時代に上司を説得し、最長の19日間の夏季休暇をもらい、フランス旅行にも行き、フランスワインを多数購入してきた。もうほとんど飲み干している。ハーフボトルのディケム、ラフィットロートシルト、モンラッシェ1976あたりだったかな。長期休暇をこんな多くとる人はいなかったので抵抗少しされたが、直属上司と課長を説得し、仕事も前倒しでやった。当時は徹夜が当たり前の職場だった。ブルゴーニュとボルドー両方に行け、今思うと頑張って長期休暇を良かったと思う。

そして転職して、1991年から東京で勤めるようになった。当時、ジャズピアノ学校か、ワイン学校のどちらかに行こうと検討して、ワイン学校を選んだ。(アカデミーデュバン)

そして念願のワインセラー35本位入る小型のLong freshを買った。

ここで、めちゃくちゃワインの好きな異業種の友達に出会い、もうかれこれ30年以上の付き合いである。ワイン学校は楽しすぎ、仲良くなったので、ワイン学校のあと、2次回、3次回は当たり前で翌日仕事があるのに朝5時位まで飲んでいたのを覚えている。若かったし、徹夜体力ができたものだ。(24時間戦えますかの世界感だった頃)

仲間の業種は色々だが、CA,レストラン勤務、ワイン会社、弁護士、行政書士、看護師、普通のおばさん、農学部の大学院生であり、私のようなエンジニアはいなかった。ワイン合宿なるものにも行き、50~100種類以上はワインが出た記憶である。

毎月ワイン会を誰かが開くので、毎週のように週末はワイン会。当時計算したが、年間1000種類はTastingしていたと思う。(3種類/日)

1994年には、ワインアドバイザーの資格も取った。当時小瓶にワインを分けて、毎朝5種類、一か月はTastingしてから会社に行っていた。Tastingなのでワイン学校と同様、吐くので、酔わないよ。Tastingは自信あったが、筆記試験は恐ろしく覚える事が多く、大変だった。特にドイツワイン。一緒に受ける仲間と勉強したが、私は受かるはずないと思われていた。ヤマをかけた、ロマネコンティ付近の地理の問題出たのが救われた。右側がRでリシュブル、左がLでラターシュと覚えたのを記憶している。南のSはロマネサンヴィバンかな。イタリアDOCGも語呂合わせで覚えたが、当時14種類なんで覚えられた。今は80種類程度あるらしい。

一番記憶に残るのはサムネの1989のシャトーペトリュス。当時、たぶん1996年頃、やまやは池袋にしかなく、確か、そこでペトリュスのVertical Tastingという夢のような企画があったので、当時付き合ってる彼女(今の妻)といった。確か,1982,1985,1988,1989,1990を一種類あたり2500円でTastingできたので二人で小さいグラスのものをTastingした。いずれも良い年だが、1989が一番良かったので購入した。当時の価格で49000円だったと思う。このビンテージ最高時には150万円位になったている。もっと多量に購入しておけばと思った。

ワインは買い続け、ずっと楽しんでるし、ワイン友達とフランス旅行一緒に行き、シャトーホテル(コルディアンバージュ)に泊まったり、ボルドーやシャンパーニュのランスの多数のシャトーを訪れ三ツ星レストランでも恐ろしく貴重なワインを皆で頼みまくった。(ほとんど独身時代前半は、旅行とワインとグルメにお金を使っていた。貯金なしで転職後、週1000円の食費しかなしで激ヤバかった、毎日焼きそばとバナナ)

ターユバン(パリ)、ボワイエ(ランス)、ピエール・ガニェール(パリ),ヒラマツ(パリ), LE PETIT VERDOT(パリ) 、コルディアンバージュのレストラン(名前忘れた、当時石塚秀哉氏がソムリエ),カンテサンス(東京), ポールボキューズ(旧アークヒルズ)など思い出に残るレストランばっかりで、一緒にいた人との雰囲気まで覚えている。ピエール・ガニェールは、米国出張時に突然夜中にたたき起こされ、パリ出張命令が来て、その時ランチで行った思い出のレストラン、一人で寂しいけどボトル一本あけた。同時にLE PETIT VERDOTは友人と行った。フランスレストランでの会話は全部フランス語だけど、旅行程度のフランス語でほぼ対応できる。記憶に残るのは、ワインを飲んで、最高にいい時は、トレビアンでなくて、スプリームだとターユバンのソムリエから習った。また、ボワイエには広い芝の庭があり、パリからお金持ちがヘリコプターで来て、となりの席で食事してたのを覚えている。またコルディアンバージュのレストランでは、ムートンロートシルトのムートン氏がいたのも衝撃的だった。夢のような思い出が一杯。ワインを知って本当に良かった。

LE PETIT VERDOTは有名な石塚秀哉氏がオーナの手頃で美味しい料理と数々のワインが出てくる、特にお気に入りのお店である。ここは日本語でもOK。石塚秀哉氏は、ヒラマツの支配人を以前されており、日本人系列のフランスレストランで初めてミシュランの星を取ったと記憶している。気さくで超楽しい人柄の人で、人格者である。

ワイン学校の仲間とは毎年頻度は減っているが、お誕生日会や海外居住の方等が東京に来た時に集まって、時々会い、ワインを飲んでいる。30年以上も続く友人達と会うのは楽しい。一緒にワイン+テニス合宿やバーベキュなどに行ったりもした。

結婚してかもも妻と結構ワインを飲んでいるが、美味しい物を飲みすぎていたので、舌が肥え、フレンチのレストランでそこそこ値段の張るものを飲んでも、といっても一万円位、感激がなくなってきたことがあった。これはしょーがない。ただ、上手くソムリエを使い好みを伝えると、手頃な値段でも美味しいワインを出してくれる場合もある。自分の知っているワインに固辞しないのが一番。

コロナのの初期の2021年の時期、レストラン不況でワインの価格が手ごろになった時、(それより前は、中国人買いなどで高騰していた)、一機にワインを海外ルートから個人輸入した。イタリア、香港、イギリス、フランスから。そしてできが良く、1000年に一度の2000年ビンテージを集めた。同じ銘柄を何本か購入したので、次期を分散して味わっている。

最近はワインに興味ある人に少し説明し、教えるようになった。えらそうに体験を色々書いたがTastingで外しまくるという失態を続けてる。

弁解的にはなるが、カベルネソーヴィニヨンは、1980,1990年初頭の物はもっとタンニンがギスギスしていた記憶がある。最近飲むそれ以降の物はそれを感じにくい。舌と鼻と記憶力が劣化したのか、やはり変貌しているのかどうなのか。ワインの友人にも効いてみたいところである。

小さい内容でもブログ化、記録としてしていく予定である。なお、私が良く調べるのは「ろくでなし」という名のワインに関するブログである。銘柄毎の詳しい説明があるのでお勧めである。

 

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