原爆の日が近づいてきてます。また、北朝鮮の核の脅威が増えてきてます。
原爆が落ちた時の母の話を思い出します。
母は、広島より西のはずれの大竹市に住んでいました。
原爆が落ちたときの話は、私が聞き、自分の子供に何回かしましたが、忘れられました。
やはり、体験した人から実感込みで聞かないと臨場感が出ないようです。
でも、あとの記録に残したいので、今日は、その日の話やあとの話、戦後女性が敗戦をどう思ったか、母から聞いた話を記録としてつづってみます。
母の住んでいた場所
母が住んでいたのは、広島市内でなく、市内から南西に約30Km離れた大竹市です。
よって直撃の被害は受けておりません。
でも、叔父は学徒動員で広島市内の工場で勤務していたので、被爆しました。
この30kmという距離がとれ位かというと、東京の国会議事堂から、南西では、横浜駅位、東北では、松戸駅位の距離です。
仮定ですが、北朝鮮の核が広島と同型の弾頭破壊力だとし、万一国会議事堂の上空に落とされるとすると、
距離が離れたところで、どのようなことになるか、模擬的に体感できます。
原爆が落ちたとき
原爆が落ちた時ですが、1945年8月6日のこの時午前8時15分は朝礼で校庭にみんな集まっていたとのことです。
すると、突然、「ピカッ」
とすごい光が見えて、
しばらくして衝撃波がどどーんときて、
窓ガラスが割れたそうです。
先生達は、「これはとんでもないことが、起こったに違いない」と思い、生徒を皆、家に帰したとのことです。
叔父も、午前8時15分の時は工場勤務が始まっており、被爆したとのことです。
(なお、叔父は被爆者手帳は持ってますが、健康を特に害することもなく、長く生き続けました......)
原爆が落ちてしばらくたったあと
母の家は、町の班長のようなことをやっており、連絡所になっていたようです。
数日たってから、トラックの荷に、真っ黒に焼け爛れた人が乗って、何度も何度も通っていったとのことです。
こういう事実のみ、私には話してくれました。
不思議なことに、「こんなもの落としたアメリカはけしからない」とか、「憎い」などの話は一切ききませんでした。
母の兄は被爆しているのに。
これは次の話に関係します。
注:) 被爆されて苦しんだ方、あるいは家族を失った方、こういう心境ではなかったと思いますが、ここでは事実のみ記述します。お気を悪くされたらすみません。
敗戦を迎えて女性がどうおもったか
戦争中は、食料がなくて、困っているらしくて、母は、骨と皮しかないため、祖母が、「このままでは骨が溶けてなくなるのではないか」と心配してたとのことです。
多少肉付きが良くなったあとの母しか見てなかったため、この祖母の言葉は意外でした。
そして原爆投下のあとの1945年の8月15日の終戦を迎えます。
戦争に負けて男どもは泣いていたとのことです。
アメリカに負けたので、さぞやくやしっかたのではと母に聞くと、答えは、
戦争に負けてよかった。
といってました。なぜ、と聞くと、
男共は戦争中、手がつけられないほど傲慢になっていった。もし、戦争に勝っていたら、その傲慢さがさらに増長することになったので、本当に戦争に負けてよかった。
といってました。これは母だけでなく、女性達の一致した意見だったそうです。
祖父は戦争前はすごくおとなしくてお酒も飲まなかったらしいですが、戦争から帰ったら、大酒のみになって、また気性が激しく傲慢になって、本当にいやだった、と母はいってました。
私が祖父に会うときは、そんなことはなかったですが、この戦後の祖父は、母が許すことができないらしくて、しょっちゅう悪口を聞いてました。
戦争は人間を根本的に変えるもの
と、子供心に思いました。
なお、ビジネスで親しくなったアメリカ人に、思い切って、この話をしてみましたが、無反応でした。
YesともNoともいえないんでしょう。
また、参考ですが、戦争中の話を叔父とか祖父からは一切聞きません。自分の父親は、訓練中で出陣はしませんでした。
戦争の話を一切しようとしてくれないことが、私から見れば「何か隠しているのではないか」と子供の時からずっと思ってました。
思い出したくないようなことが多すぎたんでしょうか? 悪いこともしたんでしょうか.... 戦争ですので。
まとめ
原爆が落ちた日とその後の話を記録としてまとめてみました。
大量の人が一気になくなったり苦しむので、恐ろしい兵器だと思います。
直撃箇所ではない、原爆の体験談ですが、少しでも何かの参考になればと思います。
ずっと、安全な中で育ったので、差し迫った危険を感じることが少ないですが、北朝鮮との緊張は、今まで生きてきた中でも最大の脅威です。
恐ろしい兵器がおちないことを切に希望いたします。
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