ハワイのホノルル空港が「ダニエル・K・イノウエ国際空港」と命名されることになったというニュースが出ました。
空港の名前になるということはかなりすごいことだと思います。
身近な例ではニューヨークの「JFケネディ空港」。
大統領と同じように空港の名前が付けられるとは....
空港の名前なので今後旅行者は彼の名前を強烈に意識することとなります。
米国の日系議員には誰がいて、ダニエイル・K・イノウエがどのような人だったのか、アメリカメディアでの評価はどうだったのか、要点を調べてみました。
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日系の議員、政府関係者
米国の日系議員の一般的なイメージで言えば、日本に対して厳しいことをいう人が多いという印象でした。
「どうして日系なのに日本に対して厳しいことをいうんだろう?」と疑問に持つことが多かったと思います。
これは、議員だけでなく、日本人で米国でしばらく生活して新たな価値観を持つと、逆に日本の悪いことが見えてきて、日本に対して批判的になることがあるからです。
思い出すために、日系の議員や政府の重要ポストについた主な人を以下にまとめました。
マイクホンダ
従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議を代表提案者として主導
ダニエルKイノウエ
上院仮議長。大統領継承順位第3位の高位
グレンSフクシマ
スーパー301条関係を始めとする対日交渉
この中で、マイクホンダやグレンSフクシマは、日本に対して厳しいことをいっていたので、ニュースにも取り上げられ記憶として残っていました。
ダニエルKイノウエは逆に厳しいことをいってこなかったせいか、ニュースで取り上げられることも少なかったと思います。
ダニエルKイノウエの主な功績
米国ではどういう功績があって、認められていたのでしょうか。
主な経歴と功績は、以下です。
- アメリカ人としての忠誠心を示すためにアメリカ軍に志願し、アメリカ陸軍の日系人部隊である第442連隊戦闘団に配属
- ハワイ州選出の連邦下院議員に立候補し当選し、アメリカ初の日系人議員
- 1973年にはウォータゲート事件と1987年にはイラン・コントラ事件の上院調査特別委委員長となり注目を浴びる。
- 1963年から50年近くにわたって上院議員に在任していた長老議員であり、上院民主党の重鎮議員の1人
- 日米間の貿易摩擦が政治問題化した際には、リチャード・ゲッパート(英語版)などと共に、対日批判の急先鋒として立ち回った。
- 慰安婦問題:対日外交の継続性の観点からあらたに謝罪を求めることに反対した。
出典:「ダニエル・イノウエ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。 2017年5月2日 (火) 23:39 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org
ハワイで育ち、ハワイの大学に行ったとのことです。
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ハワイは海がきれいでいい場所ですね。
ハワイにいた従兄が昔語ってましたが、ハワイの大学生には二種類の大学生がいて、「海で思いっきり遊ぶ大学生と、思いっきり勉強する大学生」だと。
彼は後者のタイプだったと思います。
また、アメリカ人としての忠誠心を示したとありますが、当時は戦争になりとても肩身が狭かったはずで、その中でアメリカ軍に志願するというのはなかなかできないことだと思います。
軍の中でもやはり差別は受けたはずで、それを通り越して英雄扱いされる人物になったのは特別なモチベーションと能力があったためと思います。
この中で思い出したのは、「ゲッパートとともに対日批判の急先鋒となる」というところです。
イノウエの名前は覚えてませんでしたが、ゲッパートは特徴的な名前なので良く覚えてます。
この時、日系の米国議員もいたとのかすかな記憶がしますが、それがイノウエだったのですね。
その時の彼に対するイメージは悪かったと思います。
この対日批判については当時米国にいた日本人の大学生も同じように対日批判をしている人がいました。
日本の社会が米国と異質である、というのは議員でなくても留学生も思うようになり、特に米国に忠誠を誓っているイノウエは、日本人のこともある程度わかるので、日本を批判したのだと思います。
でもこの日系の米国人や日本人が日本を批判する時には、「日本に良くなって欲しい」という意識もあるのだと思います。
慰安婦問題について、「あらたに謝罪を求めることに反対」といったのは理性的ですね。
そもそもなんで米国に言われなければいけないのかという疑問の中で、この発言は、一方的でなくバランスのとれた考え方を持っている人だと思います。
米国のメディアでの評価
米国やハワイのメディアではどう取り上げられているのか調べてみました。
ハワイでのニュースでは、彼が空港のために、毎年、確実な予算を空港の維持と発展のために付けることに貢献してきただと取り扱っています。
この表現では、あまりインパクトはなかったように思えますが、現地のニュースでは、「とても沢山のお金をつけてきた」とあります。
単に確実な予算というだけでなく、かなり潤沢な予算を付けてきたのでしょう。
また、名前の変更は現在4回目だということで、市民の中からは、「ホノルル・インターナショナル・エアポート」の方がわかりやすいとの声もあるようです。
現地のニュースでは、予算を付けてきた話しを除いてそれほど高く過去の実績などは評価されてないようです。
米国本土のニュースメディアも調べましたが、意外なことに、今回のニュースは取り上げられてないようです。
まとめ
今回のニュースに関して米国メディアでの関心や評価は決して高いものではありませんでした。
しかし、50年高くも上院議員であり続けたということは、通常はあり得ないことで、人格が良く人に慕われて尊敬されていたのだと思います。
元ニクソン大統領のWater gate事件の時に、忍耐強く、根気強く追及していったことが非常に支持されたことがその尊敬のもととなるものを作ったようです。
メジャーな空港の名前が日本人の名前になったことは喜ばしいことです。
この空港の名前がまた、改訂にならないことを祈ります!
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